対話と参加、協働による仕組みをつくる~市民が主役の地域に
松井 強氏(NPO法人世界SHIENこども学校のびすく代表理事)
子どもたちの「言葉の変化」に気づく

小学生の時にソフトボールを始め、それからずっと野球を続け、高校は野球が強い明野高校に推薦いただき入学しました。キャプテンになり、甲子園にも行きました。大学にも推薦で行くことができたけれど、家庭の事情で働かなければならず、就職しました。高校卒業後は愛知で働いていたのですが、父親の体調が思わしくなく、三重に戻ってきました。そして、結婚して子どもが生まれ転職し、津に暮らすようになりました。
ある日、子どもの同級生のお母さんから「子どもがゲームばかりしているので野球を教えてもらえないか」と言われました。ふと自分の息子を見てもゲームばかりしている。
私自身も仕事が多忙で夜中にしか帰宅できない状況で、家庭の状況など全く分かっていなかった。そこで、30歳頃に少年野球チームを立ち上げ、日曜日に練習することにしました。リーグなどに属さない「橋南軟式野球部」。ボールやバットなどをすべて自費で購入し、津にある育成小学校のグラウンドを借りてスタートしました。
少年野球の活動をしているなかで「子どもたちの変化」を感じ始めました。始めた頃は、子どもたちが「のびのび」と自分の意見を考えて言えていた。先を考えられる能力や思考を持っていた。しかし、10数年経った頃、子どもたちが発する言葉がどんどん変わってきました。「次のプレーは何をする?」と子どもたちに聞くと、子どもたちは「わからない」とぽかんとした顔をしている。「なぜだろう?」と子どもたちを取り巻く状況をみると、すべて親が先回りをして子どもの世話をしている。親が子どもたちのグローブやスパイクの片づけをしている。子どもたちは考えることがなくなってしまっていた。最初に何を片づけるのか、次に何をするのか。考えるという思考力が退化しているように感じました。
「今後どうなるのだろう」「このままではよくない」「親を変えないといけないのではないか」。
人間力を育む土台づくり…。
その後、私たち大人が「未来ある子どもたちのために何をすべきか」をテーマにした民間のボランティア団体としてチルドレン会を立ち上げました。大学の教授や地域で活動をしている方の話を聞き、大人の勉強会をしました。団体を立ち上げる時に出会ったのが、ヤナセクリニックの柳瀬先生です。当時の県知事が「子育て支援政策」について書いたfacebookに私がコメントした際に、柳瀬先生が「いいね」をしてくださった。柳瀬先生も「産婦人科医をしながら、子どもたちが生まれる前からお母さんや子どもたちの支援をしたい。ヤナセクリニックでは業務上、看護師や助産師に本来業務以外のことをしていただくことはできない。でも保育士を雇って子どもの預かり事業をしているので、もっと地域で同じ思いを持った人と一緒に子どもや親の支援をしたい」というコメントを書かれていました。私の孫が生まれる時にヤナセクリニックでお世話になったのですが、そんなことを考えられている方だとは知らず、熱い思いを持っている方がいることをとても嬉しく思いました。

その後、私のネットワークで小中学校、高校、大学、社会人の野球部の監督を集めて、「体罰」についての意見交換会を開催しました。柳瀬先生も「医療の世界しか知らないのでいろんな世界を知りたい」と参加してくださいました。野球部監督というとオトコばかりで、ケンカをするくらい熱い話をします。そのやりとりのなかで、柳瀬先生は、真剣に子どものことを考えている大人がたくさんいることを知った、と話されました。
そして柳瀬先生といろんな人に声をかけ、参加していただくようになりました。ある時ミキモト製薬㈱の社員から「松井さんがやろうとしていることを東京で学びました。舘岡康雄さんという大学の先生です。」と教えていただき、その方の著書である『世界を変えるSHIEN学』を読み、熱いメールを送りました。すると「三重に行ってみなさんにお話をします」と連絡が来て、三重に来てくださいました。舘岡さんから私がやろうとしている事を実際に取組んでいる静岡県牧之原市の西原元市長を紹介していただきました。その後、当時の西原市長にアポイントをとり、「市民が主体となるまちづくり、人が考えて動けるようにするためにはどうしたらいいか」を尋ねました。牧之原市は、対話による協働のまちづくり、男女共同参画などに取り組まれていました。その時の市長から話を聞いて、自分の考えがつながり、ひろがり、マインドになっていきました。
子育ては「してあげる」だけではない。親が全部してあげているから子どもが育たない。子どもに「してもらう」感覚に変えないといけない。地域も同じであり、誰かに何かをしてもらうのではなく、自分たちが自分の地域を変えないといけない。
しかし、その時に私が「大人が悪い。親が悪い。母親が悪い。子育ての仕方が悪い。」と柳瀬先生に話すと、柳瀬先生は「お母さんは子育てを必死にやっている。お母さんは何も悪くない。」と𠮟られました。「誰が悪いんだろうか」と話していくうちに「親の周りの環境を変える」即ち周りに居る私たちが至らない、地域の力が必要なことの大切さに気づきました。そして「何か動かないといけない」と「のびすく」を立ち上げようと思ったのです。
「のびすく」誕生!
当時勤めていた会社からいただいていたとてもよい条件を断って「どうしてもやりたいことがある。申し訳ないけれど辞めさせてください。」と500万円ほど借金して「のびすく」を始めました。この活動に収入は当然見込めませんでした。
また、この活動を始めた頃は、社会の価値観、動きと逆行していました。子どもは塾に入れて大学に行って良い給料を得られる職に就くことが大事だという価値観、要は勉学が最も大事だという価値観です。
私は、「人間力をつける土台を育てていくこと」が何より一番大事だと考えています。自分で考えて、いろんなことにチャレンジして、自分なりの答えを出して、自信をもって前に進む。前に進む際に必要なことに興味を持って学ぶ。基礎人間力をつけるために「あそびから『考える力』を学ぶ学習塾」のような場を個人事業として始めました。
けれど、行政に必要性を伝える時に個人では全く相手にされません。法人格を取ることにし、2016年3月30日にNPO法人になりました。来年で10周年になります。この場所は、柳瀬先生の自宅です。誰が来てもよい場所を作りたいと柳瀬先生に話すと、「使っていいですよ」と言ってくださった。柳瀬先生はアメリカの企業家のように「お前という人間を買うから、やろう」と言ってくださった。日本ではなかなかないスタイルです。
最初は子どもの預かりをしていました。基本は乳幼児から小学生ですが、誰でも受け入れていました。高齢者もOKにしていました。「人が集まる場所」にしたかった。でも「全く反応なし」でした。でも相談は多かった。「我が子を殺して自分も自殺したい」という人も来ました。相談を受けつつ、ここに来る子どもが増えていきました。時代の流れかなと思っています。ようやく受動的な学びではなく、能動的な学びの必要性が言われるようになってきました。

実現したいこと、そして重要課題

今は、学童保育、乳幼児託児、家庭内保育、教育のコーディネート、地域の活性化事業に取組んでいます。私の自宅を開放して訪問介護事業も行っています。
そして今後、実現したいのは、教育分野に体験、体感、チャレンジを多く取り入れる、子育て家庭の支援体制を構築する、子育てに対する親、大人、社会の意識を変える、時代にあった教育システムを導入する、入学時期、年齢、能力に合わせ自由に学べる仕組みへと変革することです。そのための働きかけをすることも当団体の役割だと思っています。そういった事業にお金をとってくる、そしてシステムをつくる。社会を変える、地域を変えるためにはシステムを変えなければいけない。
今の社会では「人間力を育むこと」が難しい。「人間力を育むためのシステムをどうつくるか」です。しかし、当団体が抱えている重要課題は「今のままの経営状態では未来を作れないこと」です。この法人が持続する経営状態をつくらないといけません。経営が成り立つにはどうしたらいいのか。助成金や企業からの協賛という形ではなく、こういった事業を行うためのお金が入るためにどのような仕組みが必要かを考えています。今は施設にお金が行く助成が多く、結局はお金儲けでやる人がほとんどになってしまい、思いを持って地域に必要な事業を行っているNPOが持続不可能な状態になっています。そうではなく、国のお金は、「必要としている国民に渡すべきだ」と思っています。国民が選ぶのです。例えば、学童の予算が月に30,000円、子育て世代に支給されます。その30,000円の使途をそれぞれの家庭が選べるようにする。自由に選ばれるようにするためには当団体も努力しなければいけない。サービスの内容を良くしていかなければ選ばれない。このことによって企業もNPOもサービスのレベルがあがってきます。お金をいただくなら、いただいた方もニーズに合う良いサービスを提供できるように成長する。そのようなシステムを構築しないと、お金を得て事業をして終わりになってしまい、企業もNPOも成長しない。
もう一つの重要課題は「知ってもらうこと」。現場はNPOが担うので、行政には「情報提供」をしていただきたい。企業も学童と塾を併設するなど、利用する側の便利さを考えて様々なサービスを提供しています。私たちは営利目的ではなく、子どもたちに必要だと考える体験や経験の場を提供しています。お母さんの悩みや大変な状況を「なんとかしたい」と事業を実施しています。企業のサービスとの差別化をいかに打ち出していくかが重要だと思っています。差別化として「人間力を育む」事業、学校教育のコーディネート事業、地域活性化事業をしています。
今は口コミで、「『のびすく』は他の学童と全く違う体験を子どもたちに提供している」「親身になってやってくれる」などが伝わって広がっている状況です。でもやっと、ようやくです。
ファンを増やす…
スタッフは子育て中の方が多いので、朝早くからの勤務や、夜7時までいてくれるスタッフがほとんどいません。今はお迎えが私一人のときもある。そうすると、外部との折衝や情報発信などができないのです。また、このようなコーディネートの仕事はわかりにくいし、ある意味専門性が必要です。スタッフの成り手がいないのも現実です。経営も困難ですから、今は十分な給与をお支払いすることも難しい。本来は給与や職場環境を整えてこういった活動、場所で働きたいという人があふれるようにしたいし、そうでないと社会や地域は変わらないと思っているのですが、難しい課題です。自主事業をしながら、行政の事業も受託し、スタッフを育成し、子どもたちの未来をつくりだしていく。そういったNPO運営、仕組みをつくりたい。「のびすくの思いや活動に協力したい」というファンが増えること、ファンと一緒に経営もスタッフ育成も事業の充実もできるように、今は外に出て発信をしています。でも私のような一般人の発信というのはなかなか難しいことも現実です。
対話と参加、そして協働

行政のみなさんには、「こういった活動への共感や理解をしていただきたい」です。「自分ごと」にしてほしい。行政には異動があり、担当されているときは理解をして一緒に活動をしてくださる。けれど2年か3年で異動され、関わりがなくなってしまいがちです。課題解決のための「道半ば」で終わってしまいます。新しい職員の方が異動で来られると、また初めから関係性をつくらないといけません。
異動の仕組みは仕方がありません。それなら市民やNPOが主役になって継続的に関わることが必要です。その状況を新しく異動された方は学び、一緒に担う。そうでないと、一から現場づくりをしなくてはいけないのです。現場も人も事業も成長できない。行政がプレイヤーで全部決め、そこに市民が参加する、許可を得て担うだけという関係では地域は変わらない。市民が主体であり、プレイヤーであり、いろんな意見を出して、それを行政が受け入れ、意見を交わし、市議会に提出して協議をして施策としてあげ実施する。その体制が必要だと考えます。市民も変わり、行政も変わる、対話と参加と協働が必要です。
「現場が生きる」ためにどういった体制、システムをつくるか。市民、行政の対話の場、参加の場、協働の場づくりにチャレンジしています。
