● 「正式には決まってないので、何も教えられない」

   ある日のこと。

   東西県県民ホールでは、県の主催による「環境問題を考える県民集会」が開かれていた。

   午前中のプログラムが終わり、同県南市で環境保全活動を行っているNPOの理事長を務める

  木下さんは、昼食をとるためにホールの玄関を出ようと歩いていた。

   すると、「やぁ、木下さんじゃないですか!」と手を振る人がいる。

   隣の北市で同じく環境保全活動を行うNPOの理事長を務める谷岡さんである。

   NPO活動を通じて知り合った二人は、折々に情報交換をしている間柄だった。

   「あ、やっぱり来てましたか!」

  木下さんはニッコリ笑って答えた。そして、二人は近くの食堂に肩を並べて入っていった。

   注文が済むと谷岡さんが尋ねた。

 

  谷岡

  「活動のほうは順調ですか?」

  木下

  「う〜ん、それがどうも…」

  谷岡

  「どうしたっていうんですか?」

  木下

  「いやぁ、市が沼をコンクリートで護岸する方針だという噂があってね。

  それで、どういう状況なのか市の担当に聞きにいったんだが、

  まだ何も正式には決まっていないから、何も教えられないっていうんだよ…」

  谷岡

  「沼って、木下さんのところが浄化活動をやって、子どもたちの遊び場にしたってところかい?」

  木下

  「そうなんだ」

  
  
  「そりゃ、たいへんだ」と言って、谷岡さんは身を乗り出した。

 

  

   ● 一気に強まる“市役所への不信感”

   ほんの2週間前のことである。

   噂を耳にした木下さんは、早速、仲間と一緒に市の土木課を訪れた。

   気のはやる木下さんは、挨拶もそこそこに切り出した。


  木下

  「こんな噂を聞いたんですが、どういうことなんですか?」

  土木課

  「いやぁ、まだ何も決まっていませんから…」

  木下

  「でも、火のないところに煙は立たないって言うでしょ?」

  土木課

  「そう言われましても…」

  木下

  「じゃ、検討はしてるんですか?」

  土木課

  「いや、まぁ、これからです。審議会で検討してもらうことになっています」

  木下

  「その審議会っていうのは、私も参加できるんですか?」

  土木課

  「いや、市長が任命するので…」

  木下

  「傍聴はできるんですよね?」

  土木課

  「その審議会は非公開ということに決まっているので…」

  木下

  「議事録の公開は?」

  土木課

  「いや…。もちろん報告書は公表することになりますので、それをご覧になってください」

  木下

  「そんなのおかしいですよ!我々は市民であり納税者ですよ。なぜ、何も教えてもらえず、議論にも参加できないんですか?」

  土木課

  「そう言われましても…」


   
   
   結局、ほとんど何の情報も教えてもらえなかった木下さんたちは、なんとも言えない無力感を抱えながら帰路についた。

   そして、一気に市役所に対する不信感を強めたのだった。

 

      

   ● 市役所のもつ情報は市民の財産

   話を聞いた谷岡さんは、呆れたように、こう言った。

 

  谷岡

  「ひどい話だねぇ。南市役所がそんなところだとは思わなかったよ」

  木下

  「そうだろう?谷岡さんのところは、違うのかい?」

  谷岡

  「今は違うね。

  ゴミ焼却場の建設計画でちょっともめたことがあるんだけど、それを契機に北市役所は変わったよ」

  
   そして、谷岡さんは、ことの経緯を話し出した。

  北市がゴミ焼却場計画を打ち出したのは5年前のこと。

  同市としては環境への影響についても慎重に検討した上で建設地を選定したのだが、

 事前の市民参加を十分に行わなかったことが災いした。

  地元住民はもちろん、市内を流れる川の浄化活動に取り組んでいた谷岡さんのNPOをはじめ

 いくつもの市民団体が計画に反発。

 「なぜ、その場所に建設するのか?」

 「どうして、事前に市民に意見を聞かなかったのか?」

  こうした声を受けて、市は計画を一時的に凍結して、市民も交えた検討会議を設置。

  環境への影響に関するデータをオープンにしながら、

 これまでの検討経緯を説明したうえで議事を進行していった。

  谷岡さんは検討会議のメンバーにこそ選ばれなかったが、

 参考人として意見を述べる機会が与えられた。

  これまでの活動の中で調べてきた川の生態系のデータを提出するなど積極的に問題を提起。

  検討会議では、はじめは行政批判が大勢を占めたが、徐々に議論は建設的な方向へ進んでいった――。

  1年が過ぎ、出された結論は当初の計画どおりの立地だった。

  しかし、これをムダな遠回りと受け取る市民はほとんどいなかった。

  むしろ、検討会議での議論を契機にゴミ削減の重要性が広く認識されることになったほか、

 市とNPOとの協働事業のきっかけにも発展していきそうな動きも出てきている。

  例えば、谷岡さんのNPO。検討会議で親しくなった建設地周辺の住民と一緒になって、

 建設地に近接する里山保全活動を始めることになったのだ。

  当初は関係者だけで清掃活動などを行っていたが、

 知り合いの小学校教師が児童を里山につれてきたのが転機となった。

  子どもたちの好評を受けて、その小学校全体で授業の一環として里山を訪問するようになっている。

  現在、市教委が、同様の取り組みを市内の全小学校に広げられないか検討を開始しているという。

  谷岡さんが忘れられないのは、市の担当者が検討会議の最終日に述べた一言だ。

  「私たちは慎重に検討したうえで建設地を選定しましたので、結論には自信がありました。

  しかし、それだけでは市民の理解は得られない。

  市役所のもつ情報は市民の財産。

  これを市民と共有しながら、議論を重ねることではじめて信頼していただける。

  情報は“求められたら出す”のではなく、市民に“使ってもらう”もの。

  政策決定のプロセスの重要性を学ばせていただきました」

        *

   谷岡さんが一通り話し終えると、

  木下さんは「その言葉、うちの市の職員に聞かせたいよ」とため息をついた。

  
  
  谷岡

  「でもさ、うちもはじめからそうだったわけじゃないよ。

  わかってくれることを信じて、市役所に働きかけていくべきじゃないかな」

  木下

  「う〜ん、そうだね。一度、NPOの仲間と相談してみるよ」

  谷岡

  「俺たちも応援するよ。あ、そろそろ時間だ。行こうか」


   
   店を出て会場に向かう途中、谷岡さんは一人の男性に呼び止められた。

  北市環境保全課の職員だった。


  
  職員

  「やっぱり、お見えになってましたか!

  そうそう、こないだご相談のあった件ですが、山林の整備状況について、

  林務課にいいデータがありましたので、取り寄せておきました。今朝、郵送しましたよ」

  谷岡

  「ありがとうございます。

  これから、うちのNPOで川の汚染と山の状態の関係について研究するので、

  結果は、また、お知らせしますよ。」

  職員

  「助かります。また、何か必要であれば、何でもおっしゃってください」

  
   
   楽しそうに話をする二人を見つめながら、木下さんは心の中で、

 「うらやましいな。 いつか、うちも市役所とこんな関係になれるようになりたい。

 頑張るしかないな」とつぶやいていた。

 

はじめに

 

 

 

 

 

 
 【解説】 

   統計データ、国の通知・通達など、行政には膨大な情報が集まります。

   こうした様々な情報は「求められたら出す」ことで”良し”と考えていませんか?

  情報は"求められたら出す"のではなくて、市民のために"情報を使う"、"使ってもらう"ことにより

  公益を実現するのです。

  情報共有は協働の過程では非常に大切です。互いの持つ情報が同じでないと、相手がなぜ

 そのように考え、行動したのかさえ分からないと思いませんか?